昭和51年08月13日 朝の御理解
御理解 第86節
『女は世界の田地である。世界の田地を肥やしておかねば貴いものができぬ、女は家の家老じゃ。家老がようなければ城がもてぬというが、女がようなければ家がもてぬ。』
今朝から頂いた事は、護岸工事と言う事を頂いた。護岸工事と言う事は、あの何でしょう川のあの、いわゆる堤防を頑丈にすると言う事で、そう言う事ですか。いわゆるそのう川というのは普通の時には、まぁそれで良いとしましても、雨期に入る水量が多くなるとその堤防が決壊する。だからその決壊しやすいところを、まぁ石で固めるというですか、セメントで固めると言った様なそれを護岸工事というんでしょう。
ですから私共がまぁおかげを頂きたい、大きなおかげを頂きたい、そのためにまず太らなければならない、太らなければ力はつかん、痩せ切れておって力を頂こうといったって無理だ。先ず太れ、そして力を頂くのだ鍛われていけん、それも只太るだけではいかん豊かにいこうと。まぁ先月今月の信心の焦点がそうですけれども、そんなら太いとか豊かであるとか、いうそこにいよいよおかげを神様が下さる事になるとする。
特別のいわゆるお恵みの水がどぅっと流れて来るようなおかげを頂く為には、決壊する折角頂いたお水が又他へ壊れて、しかもそこには水害と言った様な却っておかげが害になると言った様な事では」なりませんから、やはり私は護岸工事というのはそういう意味だと思うんです。お互いひとついよいよ図太くなろう信心による、太く太る事によって鍛える力が出来る。
それで例えば相撲取りなんかの痩せた人はおらん、やっぱり肥えて太ってあの人は、太かけん相撲取りになしたらよかろうと、言う様な事であります。その太いとがいよいよ技を力を鍛えるから、立派な相撲取りになれる様に、先ず私共が大きなおかげを頂く為には大きな力を頂かなきゃならない。大きな力を頂く為には太らなきゃならない。それもいうなら優雅なおかげをより優雅に頂くために、私共がいよいよ心が豊かに成らなければならない。そこでまぁ受けものがでけたとする、そこで神様が大きなおかげを下さる。
お水がずうっと流れてくる、ところが折角の特別のお水が流れてきたのを、水力というものは大変なもの、水圧とか水の力というものは大変なものですから、それがその思い掛けないいわゆる所からその決壊をして、それが水害ともなる。沢山の家が押し流されるというた様な結果になる。頂いたおかげで却っておかげを落とすといった様な例が沢山あります。だからもう念を入れた上にも念を入れてと言う事だと思うのです。
だから信心はもう限りなく進展していくためには、より大きくより豊かに頂いていく、よりそれを頑丈なものにしていく、いわゆる水も漏らさんという様なおかげを頂いていくことと同時に、どういう特別のおかげを頂いても、それを決壊する様な事のないおかげを頂かなければなりません。今日のそう言う事をまず前提に頂いておって、この「女は家の家老じゃから」と言う事、全然関係がない様だけれども「女は世界の田地だ」と又は「女がようなければ」と又は「城がもてん」といういわゆる家老が様なければと。
私共のこれは男と女と言う事もそうですけれども、お互いの心の中には、男女が同居しておると言われております。男にもやはり女性ホルモン的なものがある、女性にはやはり男性ホルモン的なものがあるという事とです。だからその調和が取れたのがちょうど良い。男っぽいとか女ごっぽいとかとこう申します。だからその両面がお互いの心の中にあるのです。それが調和してちょうど良い具合なおかげを頂いた時に、よいものがうまれてくるんです。
だから今日は、その私は夫婦とか男女とかと言う事ではなくて、私の心の中に陰陽が足ろうておると言う事、特にならば私共の心の中にですね、まぁ男はいうなら昔話にありますように、お爺さんは山に芝刈りに出かけます。お婆さんは川に洗濯に、お爺さんがその日のいうなら生活の足しになるお金を、例えば儲かってくる、お婆さんは家を守って子供の養育とか、家庭家事万端を切り回していく、そういう面が二つある訳ですお互いの心の中に。だからとにかくやりっぱなしに、ジャンジャンやる人があります。
とてもそれは仕事も上手だし、又商売でいうなら商売も上手である。けれども男性的なそういう外に向かっての商売は、例えば上手としても、その締めくくり女性的な締めくくりがでけんために、何時も帳簿は乱れておる。何時もさぁ手形と言う時には慌てんならんというのはね、そういうあのう男性的女性的な両面が足ろうてないからです。男性的な面のどんどん外に向かって進んでいくという生き方は、人よりも優れておっても、それを締めくくる心が自分の心にないから。
いうなら何時もまぁ経理なら経理の面で、難儀しなければならんのです。これは家ん中でも同んなじですよね、夫婦主人が一生懸命儲かってくる。家内ががんがつすんなら、もういくら親父が儲かってきたっちゃ家内がここに使うてしまうなら、残りゃしませんよね。それを今日は私共自身、男でも女でもその両面が心の中にある。豪気な心と小さい神経の行き届いたと言った様なものが、私共の心の中に足ろうて行かなければ、良いものが生まれると言う事にはならない。
今日はそういう意味で聞いて頂かなければなりません。言うならば護岸工事というのはどう言う事かと、一辺に水が流れてきても、それを耐えて堪えられる事だ、いうならば辛抱強いという心です。三代金光様は信心に一番大事な事は辛抱する事だと。誰でもやっぱり昼の疲れで夜ぐっすり眠る、眠りが足らんとやっぱりきつい、それでもやっぱり四時なら四時に起きにゃ五時のご祈念には間にあわん。
偶には今日だんゆっくり寝たいという時もあろうけれども、そこんところを私は辛抱し抜けれる人でなからなければ、おかげ頂いても必ずおかげを漏らしてしまうと思う。いわゆる辛抱力です、護岸工事とは私は辛抱力の事だと思いました今日は。男が外で儲かってくる内で家内がそれをやりくりする。女は世界の田地だから女が良うなからんと、女が肥えておらんと家がもてん、又は家老がようなからんと城がもてんと言われるのは、女は私は男性からいうとですみめ麗しく才丈て、と言った様な事を理想の女性とする訳です。
けれどもそうじゃないと思う、それは実質的じゃないと思う。器量はちった悪かったっちゃええ、頭はそんなに才長とらなくていい、けれども女としてのです、いうなら務めいうならば辛抱強い女、私はこれはどうでも女は辛抱強いという女でなからにゃいけないと思う。これは私の事を言うてまぁおかしいですけれども、私の母の事を思うてみてです、本当に辛抱強い人だったと思う事です。なら私の家内もそれこそ、見目麗しくもなからにゃ才丈てもいないけれどもです、辛抱強いと言う事は私はかなわんです。
だから私の家内は辛抱強い、私の母はこんなに辛抱強いと、それが只自慢ではなくてです、事実そんならば私がこの様に、おかげを受けておるという事実からいうてです、成程女がようなければ城がもてん、いや家がもてんと言う事が言えるです。そりゃこれはまぁ教会の例をとると非常に才丈てですね、いうならば利口もんで、ご信者さん達にでんむごう言いなさる奥さんのとこ程、ごひれいが立たんのはど言う事かと思う事が時々あります。だから女のやり手というのがです。
女その人の心の中に今日いう様に、陰と陽とが適当にあれば別です。先日ある本を見せてもらいよりましたら、男女同権と言う事は確かに男女同権、これは神様の目から御覧になれば女も男も同じだ。けれども夫婦は男女同権ではないと書いてある、ははぁなかなかいい事書いてあるなと私は思うたです。家ん中におんなじ勢力のもんが二人おってんなさい、絶対ほんなこつなりませんから、船頭が二人おる訳ですから。
昨日は、私が起きてからご飯炊いたけん、お父さん今日はあんたがご飯炊きなさいち言うごたる嫁御なんかのとこじゃ、家はもはしませんです。やはりここにあります様に、女は家のどこまでも家老である。主人はどこまでも殿様である。それには家老がようなければならない、又家では女がようなければならない。その女はどうなからなければならんかというと、見目麗しくもいらん才丈てもいらん、ただ辛抱力があると言う事だと私は思うです。そういう私は家内のところならば必ず子供も良い子供が育つ。
必ず家も繁盛すると私は思うです。男女同権確かに男女同権ですけれども、夫婦は違う同権じゃない、やっぱり主人は殿様家内は家老、なら家老はどうなからなければならんかというと、家老は辛抱強くなからなければならんと言う事である。もう女が辛抱力が無くてガタガタいうなら、もう男もせからしか、そんくらいな事お前がちゃんとお前の心の中で片付けていかにゃと、俺ゃもう外んこつばっかり考えとるとに、商売の事ばっかり考えとるとに、家の事までガタガタお前が言うならでけんでしょうが。
家の事はそれこそカッタリともいわせんで、女が治めていくと言う事は辛抱力です。だから男は男で外で一生懸命働きがでけるのです。どうしても女の器量が良かったり才丈ておるとですね。どうも高慢知己になっていかんです確かに。男でん何でんなぁんとも思わんごとなる。これではいわゆるよかかも知れんけれども、家が繁盛するとか世界の田地という様な役割は、果たす事はでけないと言う事です。いよいよだから女性がです心豊かに心が太く、それでいていわゆる護岸工事である辛抱強い。
例えばこういう例がありますよ。これは信心の無いとこでもそうですけども、まあ立派な普請なら普請がでけます。普請が出来ますとその普請立派な普請がでけた後に、難儀な事が起こったり、主人になる人がころっと死んだりする。教会なんかでもそんな例がいくらもあるです。立派な教会がでけたのに、ほんな出来る半ばに亡くなんなさるとか、出来てしもうたらその教会長が亡くなられたとか という例が沢山あるです。それは特別のやはりおかげを頂いた訳ですよね。
特別のお恵みの水をガアーと流れてきた、それだけの力があるから頂いたとじゃない、願うから神様がおかげを下さった訳だけれどもね、護岸工事が出けとらじゃった。だからそこから、耐えられずしてその堤防が決壊する。そして水害と言った様な結果に、ならそういう例はいくらもあるです。だから大きなおかげを願うなら願うほどです辛抱力をつくっとかにゃいかんです。
太くもならなきゃならん、豊かにもならなきゃならん。その上にです私は辛抱力をつくっとかにゃいかんです。三代様が仰るなるほど信心には辛抱する事が一番大切だとね。特にです、だからそんならいつか家の上においてもね、家内の辛抱力で家が支えられる。私共の心のおかげを受けると言う事でも、心の中にある、いうならば男性的な豪放的な生き方それに、その反面に辛抱力の強い心が育っていって、始めて本当のおかげが受け止められると言う事になります。
今日は私護岸工事と言う事を頂いて、実際何節を頂くじゃろかと思うたら、全然縁のなさそうなこのご理解を、87節ですか86節ですね86節を頂きました。「女は家の家老じゃ女がようなからんと家がもてん」というところに焦点をおいてね。例えば私共の心の中に頂いておるところの、いうならば辛抱力が強ようなければ、どういう華やかなパアーとした信心がでけて、パアーとしたおかげを頂いても、それを受け止める事が出来ない。折角頂いたおかげが、いうなら川の堤防が切れる様に決壊する。
決壊する事はまぁよいとしてもです、水害が起こる。却って頂いたおかげのために怪我をする、頂いたおかげのために難儀をしなければならない、人に迷惑をかけなければならないと言った様な事では、いよいよもって相済まない事になります。太くなろうそして豊になろう、そしていよいよ辛抱力を作っていこう、それが私はいうならば、おかげを完璧にしていくね、護岸工事に当たるのじゃないかと思います。 どうぞ。